鷹宰心理療法所のカウンセラーとその家族のお気楽生活

「教授」の思い出

「教授」の思い出

今回の記事は、先日亡くなられた世界的な作曲家でピアニストの「教授」こと、坂本龍一さんについての思い出です。

私にとって教授は大学時代の思い出に深く関係しています。

私は、中学生の頃から作曲を始めていました。

当時はTMネットワークの全盛期で、小室哲哉さんがステージで演奏されていたヤマハのシンセサイザーEOSが流行っていました。

音楽友達の希功(きく)ちゃんは、EOSのB200(小室さんモデル)を持っていましたが、私も小室さんのフアンでしたが、後の制作の事を考えて、リズムマシンとフロッピーディスクドライブが内蔵されたV50というシンセサイザーを買いました。(後のモデルで搭載されたが、B200にはリズムマシンとFDD機能がありませんでした。)

高校生の頃は、音楽仲間とTMネットワークのバンドスコアを買って、アレンジ(編曲)を研究していました。

そこで学んだ事を自身の作品に使うので、レベルは雲泥の差ですが、TMネットワークみたいな曲になってしまうのです。

「このままでは駄目だ」

とオリジナル性を考えて、次に参考にさせていただいたのが、教授でした。

当時の私にとって、TMネットワークは身近な音楽でしたが、

教授の音楽はかなり背伸びする必要があり、「何か難しい作品を作る方」

という印象でした。

教授のCDで初めて購入したのが「NEO GEO」と「サマーナーヴス」でした。

当時はいい時代で、「CD選書」というシリーズがあって、1.500円でアルバムが買えました。

「NEO GEO」と「サマーナーヴス」は、教授の作品で「CD選書」に入っていたタイトルでした。

それまで1枚3.000円位するCDが、3.000円で2枚買えた事はかなり驚きました。

大学に入った私は音楽系のサークルに入りまして、そこで出会ったギタリストのジミ近藤っていう奴と仲良くなって、「YMD」というYMOのコピーバンドもやりました。

ジミはバリバリのハードロッカーでしたが、何故かYMOが好きでコピーバンドをする話になったのです。

私は実は高3の文化祭で「Passage」というユニットで演奏をしており、その時はツインキーボードだったのですが、もう一人のキーボーディストの「ノブ林」がやはりYMOのフアンという事で、曲目の中に何曲かYMOが入っていました。

(実はその時が初めてYMOを聴いた時でもあります。)

話を戻します。

大学時代、音楽友達を増やしたかった私はジミ近藤とYMDをやりました。

ちなみにYMDのDは

「俺ら二人だからDuoのDな」

とジミが決めました。

当時珍しいYMOのバンドスコアを手にコピーだけでなく、またアレンジの研究をした訳です。

そうなるとやはり実践投入したくなり、自身3枚目のアルバムはジミにも手伝ってもらって「鷹宰葵が勝手に解釈するYMOみたいな音楽」を作りました。

勉強そっちのけで音楽漬けだった私は、定期券があるのをいい事に、よく授業をさぼって、四条河原町辺りのレコード店巡りをしていました。

これはジミに教えてもらったんのですが、輸入盤のコーナーに教授やYMOのCDがあるのです。

国内盤より安いのも驚きですが、洋楽と同じ扱いに

「Sakamotoすげえ!」

と驚いた事を憶えています。

教授から始まって、YMO→YMOのメンバーである高橋幸宏さんと細野晴臣さんとCDをどんどん買い足していきました。

「CD選書」みたいなのが、他のレコード会社にもあって、高橋さんと細野さんのも随分と揃えました。

現在でも教授や高橋さんの作品は、出る度にほとんど購入していますが、

「これで最後なのか…」

と高橋さんも先日亡くなられたので、少し寂しい気分になりました。

教授の最後のアルバム「12」を先日注文しました。

国内盤は既に発売されていますが、教授の作品で海外版があるものは、以前からそちらを選んできたので、今回もあえてそうしました。

ちなみに、名曲揃いの教授の作品の中で一番私が好きな曲は、「The Last Emperor Theme」で、好きなアルバムは「1996」、あと「Behind The Mask」のスタジオライブのCDです。

なんか支離滅裂な文章になりましたが、こんな感じの事を最近よく考えています。

 

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