「教授」の思い出
- 2023.04.22
- ひとりごと

今回の記事は、先日亡くなられた世界的な作曲家でピアニストの「教授」こと、坂本龍一さんについての思い出です。
私にとって教授は大学時代の思い出に深く関係しています。
私は、中学生の頃から作曲を始めていました。
当時はTMネットワークの全盛期で、小室哲哉さんがステージで演奏されていたヤマハのシンセサイザーEOSが流行っていました。
音楽友達の希功(きく)ちゃんは、EOSのB200(小室さんモデル)を持っていましたが、私も小室さんのフアンでしたが、後の制作の事を考えて、リズムマシンとフロッピーディスクドライブが内蔵されたV50というシンセサイザーを買いました。(後のモデルで搭載されたが、B200にはリズムマシンとFDD機能がありませんでした。)
高校生の頃は、音楽仲間とTMネットワークのバンドスコアを買って、アレンジ(編曲)を研究していました。
そこで学んだ事を自身の作品に使うので、レベルは雲泥の差ですが、TMネットワークみたいな曲になってしまうのです。
「このままでは駄目だ」
とオリジナル性を考えて、次に参考にさせていただいたのが、教授でした。
当時の私にとって、TMネットワークは身近な音楽でしたが、
教授の音楽はかなり背伸びする必要があり、「何か難しい作品を作る方」
という印象でした。
教授のCDで初めて購入したのが「NEO GEO」と「サマーナーヴス」でした。
当時はいい時代で、「CD選書」というシリーズがあって、1.500円でアルバムが買えました。
「NEO GEO」と「サマーナーヴス」は、教授の作品で「CD選書」に入っていたタイトルでした。
それまで1枚3.000円位するCDが、3.000円で2枚買えた事はかなり驚きました。
大学に入った私は音楽系のサークルに入りまして、そこで出会ったギタリストのジミ近藤っていう奴と仲良くなって、「YMD」というYMOのコピーバンドもやりました。
ジミはバリバリのハードロッカーでしたが、何故かYMOが好きでコピーバンドをする話になったのです。
私は実は高3の文化祭で「Passage」というユニットで演奏をしており、その時はツインキーボードだったのですが、もう一人のキーボーディストの「ノブ林」がやはりYMOのフアンという事で、曲目の中に何曲かYMOが入っていました。
(実はその時が初めてYMOを聴いた時でもあります。)
話を戻します。
大学時代、音楽友達を増やしたかった私はジミ近藤とYMDをやりました。
ちなみにYMDのDは
「俺ら二人だからDuoのDな」
とジミが決めました。
当時珍しいYMOのバンドスコアを手にコピーだけでなく、またアレンジの研究をした訳です。
そうなるとやはり実践投入したくなり、自身3枚目のアルバムはジミにも手伝ってもらって「鷹宰葵が勝手に解釈するYMOみたいな音楽」を作りました。
勉強そっちのけで音楽漬けだった私は、定期券があるのをいい事に、よく授業をさぼって、四条河原町辺りのレコード店巡りをしていました。
これはジミに教えてもらったんのですが、輸入盤のコーナーに教授やYMOのCDがあるのです。
国内盤より安いのも驚きですが、洋楽と同じ扱いに
「Sakamotoすげえ!」
と驚いた事を憶えています。
教授から始まって、YMO→YMOのメンバーである高橋幸宏さんと細野晴臣さんとCDをどんどん買い足していきました。
「CD選書」みたいなのが、他のレコード会社にもあって、高橋さんと細野さんのも随分と揃えました。
現在でも教授や高橋さんの作品は、出る度にほとんど購入していますが、
「これで最後なのか…」
と高橋さんも先日亡くなられたので、少し寂しい気分になりました。
教授の最後のアルバム「12」を先日注文しました。
国内盤は既に発売されていますが、教授の作品で海外版があるものは、以前からそちらを選んできたので、今回もあえてそうしました。
ちなみに、名曲揃いの教授の作品の中で一番私が好きな曲は、「The Last Emperor Theme」で、好きなアルバムは「1996」、あと「Behind The Mask」のスタジオライブのCDです。
なんか支離滅裂な文章になりましたが、こんな感じの事を最近よく考えています。
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